関西人が東京にきてやらかす失敗の話
伊藤です。
生まれも育ちも奈良なんですが、こないだ奈良に帰って地元の友達と遊んでたら
「東京弁なってる」
と言われ、東京に戻ってそれを会社の人に話すと
「えっ?どこが?」
と言われました。
どうやら今まさに奈良と東京の狭間で彷徨っているようです。
東京にきて4年目。
すっかり東京に染まってしまった僕ですが、原点回帰の気持ちも込めて、東京にきた関西人の思いを書いてみようと思います。
その1
東京にきた当初、関西弁を喋っている自分がイケてると勘違いしていた。
むっちゃダサいですが、往々にして関西人なら理解できるかと思います。
基本、関西人は関西弁に並々ならぬプライドを持っており、その一点において東京を死ぬほど下に見ている傾向があります。
実際、9割方の関西人は高校生時代、ヤンキーであっても東京弁でこられたら口で勝てるという謎の自信を持っています。
というのも、その9割方が、はじめて男性が東京弁を生で喋っているの聞いたとき、オカマ口調に聞こえてしまうためです。
そうなんです。
もう慣れましたけど、関西人から見た男性の東京弁ってメチャクチャナヨナヨしく聞こえるんです。
もっぱらこの話で上がる具体例が人を呼ぶ際の
「ねぇねぇ」
です。
関西弁だと余程育ちのいい女性でもない限り漏れなく
「なぁなぁ」
なんです。
「ねぇねぇ」
の女の子感は尋常じゃないためか、はじめて東京の男性が発する「ねぇねぇ」を聴いてなんか違う感を覚えた関西人は多いことでしょう。
とかなんとかあって、東京にきた当初は、関西弁で喋っている自分に謎の自信が芽生えてきていつもの3割り増しくらい声のボリュームが上がります。
関西人が東京にきてはじめてお作りになられる定番の黒歴史です。
そんなもんだから、東京の暮らしが長くなるにつれ、カフェ、駅などで耳にする、明らかに
「ほれ見ろ東京人!俺は関西人やぞ!関西弁やぞ!凄いやろ!」全開で声3割り増しで喋っている来たばっかの関西人がいると恥ずかしさで見てらんなくなります。
ちなみに、痛さが完全に爆発してしまっている人は、言ったこともない「おおきに」を使いはじめます。
これがどれくらい痛いかというと、
頼まれてもないのに思い立って単に東京で路上ライブしにいくだけなのに「俺が売れてもお前らのことぜってー忘れねっから。それでは聴いてください。栄光の架橋。」ってツイキャスで言っちゃう地方出身のミュージシャン志望のそれとほぼ同じだと思ってもらえればと思います。
こういう人に限って地元帰ったときに
「東京人ボケてもツッコまんからほんま腹立つわ〜」とかいいだします。
その2
上がりきった笑いのハードルで自滅する。
上の続きですが、
千鳥など関西からきた芸人が「東京怖い」って言ってるのからもわかるように、「関西の俺」感が出てる人ほど東京にきたら信じられないくらいスベります。
こういう人らは、「話の節々に笑いを散りばめ、ボケツッコミが会話の基盤を成しているお笑いの本場関西からきた面白い俺」という上がりきったハードルを無謀にも自分に課して東京に挑んできています。
もはやここまでくると正常な思考回路を保ってはいません。
上がりきったハードルを飛び越えようと、関西では言ったこともない意味不明なボケやツッコミをかまして自滅します。
ちなみに僕がはたから聞いてて一番常軌を逸してたツッコミは20代前半の若者が発した
「お前はアホの坂田かっ!」
です。
関西と東京の狭間で迷子になってるとしか言いようがありません。
逆に、東京の人の関西人に対する上がりきったハードルを客観的に理解して、一切笑いをシャットアウトする関西人も多々います。
こういう人は「えーっ、関西の人なんだー!面白いこといってよー!」とか言い出す輩に光の速さで殺意を抱いて日々生きています。
こうして、関西弁と東京弁が絶妙に混じり合い、ボケとツッコミも適度な間合いで避けてきた生活を送っていた結果、奈良県民でもなく東京都民でもない中途半端な関西人が出来上がるんだな、と実感しました。